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ルート

エリア02
蓼科湖~諏訪鉄山跡~尖石縄文考古館

―蓼科・山麓の歴史を訪ねるー

参考タイム・・3時間 ○歩行距離・・約9km  ○難易度・・★☆☆

コースの特長

別荘地蓼科の入口蓼科湖から「美しい日本の歩きたくなる道500選 蓼科高原縄文遺跡と高原浴の道」の一部を歩きます。江戸時代に開発された滝之湯堰などの多くの水路や、第二次世界大戦当時に採掘されていた諏訪鉄山跡、そして治水工事を成功させた坂本養川像の立つ尖石縄文考古館まで、山麓歴史の道を辿ります。
服装・靴> ハイキングコースと舗装道路なので、歩きやすいスニーカーやウォーキングシューズなどがお勧めです。

蓼科湖 歩きたくなる道500選 ―蓼科高原・縄文遺跡と高原浴の道― 尖石縄文考古館
蓼科湖 歩きたくなる道500選
―蓼科高原・縄文遺跡と高原浴の道―
尖石縄文考古館

おもなポイント

◆蓼科湖

別荘地として知られる観光地「蓼科」の入口、標高1210mにある湖。周辺にはゴルフ場やキャンプ場などがあり、桜で知られる聖光寺などがある。農業水利を第一とし、観光施設を第二義として昭和27年完成した湖。

 

◆滝之湯堰

滝の湯川のホテル滝の湯対岸から取水、蓼科湖の下方を流れ、尖石縄文考古館脇の坂本養川像の横を流れている堰。天明5年10月完成し藩は坂本養川に堰役人職を与えている。今回のトレイルでは蓼科湖を半周してすぐ2度滝之湯堰を渡る。

 

◆諏訪鉄山跡

昭和12年頃から昭和38年頃まで稼動した日本有数の鉄鉱山跡地で、蓼科湖から奥蓼科に至るまでに点在する。現在は、採掘跡の地形や万石跡などが見られ、「鉄山入口」バス停留所や「石遊の湯」などの名前に残っている。輸送に使用された道路は現在の観光道路へと転用されている。

 

◆大河原堰

古くからの堰で坂本養川が手を加え寛政四年に大河原堰として完成した。滝の湯堰の上流、城ノ平北側から取水蓼科別荘地内を通り、横谷温泉渓入口の「乙女滝」が大河原堰で渋川を樋で渡っている。広見の下方を通り上槻木の下方で柳川に落とし「乙見滝」と呼んでいる。岳麓公園横を流れるのも大河原堰である。

 

◆岳麓公園(がくろくこうえん)

多目的広場の野球グランドあり、一寸とした遊具もある見晴らしのよい公園だ。北口駐車場から南口駐車場に抜ければ何処を歩いても良いが、北口から大河原堰に沿って歩き堰はトンネルに入ってしまう、トイレ横から東屋に向かい池に向かって下りる。池は「夕映えの池」と名付けられているが溜池で反時計周りの池の縁を回って南口に出る。

 

◆坂本養川(さかもとようせん)翁像

諏訪地方では良く知られる坂本養川は、小学校の教科書にも取り上げられる。江戸時代高島藩に農業用水の開発計画を願い出て多くの堰を開削し、米の生産高が増え生活の安定が図られたと言う。また、天明二年、釜無川の水を甲州の逸見筋へ引く計画を立て、立場川、甲六川を越えて小淵沢村、上笹尾村の上を通って太井ケ森から白井沢まで堰を引く計画があったと言われる。像(西森方昭氏作)は平成6年に建てられた。

 

◆尖石(とがりいし)縄文考古館

尖石縄文考古館は、国の特別史跡「尖石石器時代遺跡」の保全・管理・展示のため建設され、国宝「土偶 縄文のビーナス」(昭和61年発掘)や、平成12年に発掘された「仮面土偶」が展示されていることで知られている。 集落の脇に露頭する三角錐形の 「とがりいし」と呼ばれる石が遺跡の名前となった。発見された縄文中期の竪穴住居址、与助尾根遺跡の復元住居が、考古館裏には6棟建設されている。

 

周辺のポイント・見処

(ビーナスライン)

蓼科有料道路として昭和38年茅野から白樺湖まで、その後昭和56年にさらに美ケ原台地上まで建設された全長76kmのドライブウェイで、平成14年2月22日から全区間無料になった。

 

(御射鹿池(みしゃがいけ)

湖面に映る緑と白馬を描いた日本画家・東山魁夷による名作「緑響く」のスケッチ場所として知られる。明治温泉から歩いて10分。

 

<案内所・立寄処>

・蓼科観光協会案内所 ☎ 0266‐67‐2222
・蓼科クライネユースホステル ☎ 0266‐77‐2077
・石遊の湯 ☎ 0266‐77‐2386
・尖石縄文考古館 ☎ 0226‐76‐2270
・尖石温泉 縄文の湯 ☎ 0266‐71‐6080

地図

↓概略地図


↓詳細地図(※画像をクリックするとPDFが開きます)

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