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ルート

エリア05
立場川キャンプ場~高栄寺~火の見櫓

―富士見高原の歴史を歩く―

○参考タイム・・3時間半 ○歩行距離・・11km  ○難易度・・★☆☆

コースの特長

立場川キャンプ場から川沿いに富士見高原へ向かいます。1559年に武田信玄が建立したと言われる高栄寺をはじめ、江戸時代初期の稗之底村跡や水神、山ノ神(八ヶ岳権現耕地)の石碑など、興味深い史跡を訪ねる道です。富士見高原のモダンなペンション街を抜けて富士見高原スキー場から鉢巻道路を大平(おおだいら:火の見櫓跡)下まで歩きます。

服装・靴>
このコースは、ハイキング道と一部村の中の舗装道も歩きます。歩きなれたスニーカーやウォーキングシューズがお勧めです。

高栄寺 稗之底村跡 信玄棒道
高栄寺  稗之底村跡 信玄棒道

おもなポイント

◆立岸山高栄寺 (りゅうがんざん・こうえいじ)

真言宗智山派で創立は武田信玄が永禄2年(1559)10月、中の棒道が通る立沢地籍の焼地野に祈願寺として建立したと伝えられている。立沢が村と認められたのは慶長14年(1609)なので、村に先立つこと高栄寺は50年前建立されたことになる。

 

◆稗ノ底村跡 (ひえのそこむらあと)

ここは昔、稗之底(ひえのそこ)村があったところで、標高が1200mと高く、気温が低く霧が多くて作物の実りが悪く、鹿、猪、狼などが出て作物を荒らし、人畜に危害が出るなど生活が苦しく、天保年間(1640)標高の低い立沢村に降り、その後明暦年間(1650)再び昔の村に戻ったが寛文年中(1660)に乙事村に退いて廃村になったと言われている。

 

◆八嶽権現講地(やつがたけごんげんこうち)

この石祠には側面に「寛保二壬戌五月五日」とあり、この付近では古い集落であることが分かる。昭和40年代まで嶽道の西側の藪の中にうずもれていたが、近年別荘地として譲渡するにあたり、昭和46年頃、権現講地東側の現在位置の巨大石の上に安置した。一番大きな碑には真中に「八嶽大神」、両側に少し段落ちして右「赤嶽大神」、左「東嶽大神」と浅い彫りで刻まれている。このことから八ケ岳最高峰の赤嶽山信仰とは別に、現在の権現岳を中心とした八ケ岳信仰があったのではないかとされる史料の一つとなっている。

 

◆信玄の棒道 (富士見町指定史跡)

棒道は、武田晴信(信玄)が、北信濃経略のため八ケ岳の西南麓に開設したと伝えられる軍用道路である。「ぼう道」の呼称は江戸時代になってからのようで、慶安四年(1651) の絵図に初見される。棒道はこの先からやや上りに転じて通称鉢巻道路を越え、ゴルフ場を抜けて北進し、立場川に出て乙事汐の新旧取入口の合流部附近で渡河し、原村地籍へ抜ける。

◆仏供石(ぶっくいし)

八巻道路沿いに「仏供石」看板があり、林に入ると大きな石がある。棒道を横のラインとして信濃境駅からの縦道とが合流する目印の石で地蔵尊が祀られている。道しるべでもあり、旅人の安全を祈ったようだ。

 

周辺のポイント・見処

(富士見高原ゴルフコース・富士見高原スキー場)

ゴルフ練習場横からは西岳、編笠山登山口があり、不動清水経由西岳、盃流し経由編笠山と続き一周も可能。

(創造の森・彫刻公園)

自然の中に国内外彫刻家による50体の彫刻を設置した屋外美術館公園で、展望台からは八ケ岳東南盆地、南アルプス、左に遠く富士山を眺める信州サンセットポイント100選の一つで、眺望は抜群。

(稗ノ底 (ひえのそこ) 自然探索路)

稗ノ底村跡、西出口、乙事滝の沢溜め池、東出口、柳出口、鳥獣供養塔を一周する稗ノ底自然探索路がある。

<案内所・立寄処>

・八峯苑鹿の湯 ☎ 0266‐67‐222

 

地図

↓概略地図


↓詳細地図(※画像をクリックするとPDFが開きます)

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